「企業からの献金を隠した」
というのが重要な違反だということだそうだ。
検察の特捜が動いた事案となれば、ほとんど有罪も決まったようなもの、という常識が出来上がっているが、佐藤優氏が自分が検察の調べを受けたときの事を書いた著書「国家の罠」などを読んでみると、果たして大山鳴動させるようなほど意義のあることだったのかと疑問に思ったりもする。むしろそのことによって損なわれた国益の方が大きかったのではないだろうか。
サンプロで田中眞紀子と対談した時に田原総一郎がいっていたが、田中角栄の逮捕にしても、何か裏の力が働いてああなったという見方を捨てていないし、今回の事件でも検察のやり方には疑問を投げかけている。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090312/138612/検察とて所詮人がつくる組織である。三井環の事件の時に見せたやり口をみれば、正義の味方なんていないんだということが分る。特に公権力というのは組織防衛を本能として動くものだから、自分達の存在感の「見せ場」だとして動くことがあっても少しもおかしくない。
個人的にはこの手の捜査は、例えるなら、毎朝雀にえさを与えていたところ、ある日突然「集まった雀の糞で付近を汚した」罪に問われるような、そんな間接的な感じ、唐突さを覚える。
今回異例の説明がつけられたのは、検察のやり方に対する疑問の声がかつてなく大きかったためだろう。メディアも比較的冷静に報道していたように思う。
http://www.asyura2.com/09/senkyo59/msg/785.html民主党内では小沢氏は代表を辞めなくても良いとする声が大勢を占めているようだが、辞める事でかえって稼げるポイントもある。自分がクロであると認めたと誤解されない限り、潔癖さは党にとってマイナスにはならない。そういう選択の方法もあるだろう。ある意味検察の顔を立てる意味もある。
さて今後どうなるのか。
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